比較的、実家から近いところに嫁いだので(隣の市)、車で10分ほどでいつでも帰れるというある意味恵まれた境遇。
子どもを預かってもらうこともできるし、気軽に家出も出来るという。
いや、しませんが。
私は長子です。
下の兄弟たちは県外に就職や結婚で家を出ているため、近くに住んでいる私がおそらくは親の今後についてリーダーシップを発揮することになるだろうと、日々恐々としています。
責任を放棄したいとかではなく、そういうことを自分が考えなければならない年代になってきたんだなあと、周囲を見ても感じることが多くなってきて気が重いのです。
幸い両親は健在で、今すぐどうこうということはなさそうですが、親自身もそういう話をしはじめるようになりました。
車をどうするか、墓をどうするか、そして家をどうするか。デリケートな話題3連発
車が無いとどうにも生活が不便な田舎。
インフラも整備されていないし、スーパーや商店までも高齢になってからは歩いて往復は厳しいでしょう。
高齢者ドライバーが事故を起こすたびに問題になるものの、車を手放してからの足になってくれる公共の交通すら、一部地域をのぞいては不便なままだし、サービスを増やしてくれるわけでもない。
すべての世帯が、タクシーを毎回使えるほど裕福とも思えず、親の世代に限らず自分の老後も心配になってきます。
若い人が都会にでるのもわかる。
子どもの世話にならなければ生きていけない田舎暮らし。
コンビニまでも車で行かざるを得ない環境では、車を手放してしまってからどうやって生きていくのか。
と、先日父が言うので、うんうんと聞いてはいたものの。
そうは言っても、事故は怖いですよね。
長い年月運転しているので、自信はあるようで今もまだ運転はしているのですが、次の更新の時には免許返納した方がよくないか? と言うと、それも考えてはいるらしい70代半ば。
一応、車の維持費もガソリン代もばかにならないし、買い物も週に何回かは連れて行くからと提案はしておきました。
宅配とかもありますしね。
あまり、しつこく言うと親もへそを曲げるので注意とテレビか何かで言っていたので、こういう話はほどほどに小出しにしていかないと。
そう思っているところへ、今度はお墓の話。
なんでそんな一度にむずかしい話を放り込んでくるのか、父さんよ…。
実家は亡くなった人がいないのでお墓も仏壇もありません。
しかも、子どもが誰も実家に残っていないので親以外は墓に入ることがないかもしれないのです。
なので、私としては墓なんか建てて欲しくないということを率直に言った所、気を悪くした様子。
あちこちにお墓があっても、このままいくと一人っ子の私の子どもが両家のお墓を管理しなければならず、私も親としてはそれを避けたいわけです。
孫が大変なんだよ、と可愛がってくれている我が子を持ち出して意見をしておいて。
まあ、日本人の感覚としてはお墓に入るというのもわからなくはないですが。
同じく家も誰も戻ってくることもないし(予定)、どうするのか決めておいた方がいいのでは?というと、下の兄弟たちが帰ってくる場所がなくなるという話。
そりゃそうでしょうが、誰も住まなくなってからその家を維持するのにどれだけお金がかかると思っているのでしょう。
兄弟たちが協力してくれるとも限らないわけですし。
でも家については申し訳ないけれど、親だってこの世から去った後は口出しできないので勝手にさせてもらうとして。
親から一度にこういう難題を持ち出されると、いろいろ考えて心配になってくるじゃないですか!
よくよく考えたら、いわゆる「実家を片付ける」って、結構大がかりなことになることに気づいてしまいました。
単純に物を片付ければいいってわけでもない
私の昔使った参考書が勝手に捨てられているくらい、断捨離に励んでいる父。
終活は結構。
でも、子どものものを捨てる時には一言くらい断りをいれてくれてもよくはないか?と思うのですが、まあ、中学校で使った参考書は今更使いませんけども。
母は物をためこむ性格で、いつも父にいろんなものを捨てられて怒っています。
なので、二人がこの世を去った後、どちらが後に残ったかで片づける量が違ってくるなとは漠然と考えていました。
だけど父と車や墓や家の処分の話をした時に、「片づける」って物を処分するだけじゃないんだということに気づいて愕然。
ある意味、物は簡単なんです。
いらなければ捨てればいいのだし。
でも、要するに相続やら土地家屋やらの「方(片」」を「つける」必要があるわけです。
それが一番やっかいでは?
遠い親戚でも、男三兄弟で貸家や土地などの相続のことで揉めている最中という話も聞いたし。
書類にハンコをついてもらうとか、銀行へ行くとか…。
と、ここまで考えた時にふと思い出したことが。
夫の祖母が亡くなった時に、揉めたりはしませんでしたが、娘や息子たちが遠方に暮らしていたため、同居していた義父が銀行から故人のお金をおろすまでや、末の弟にかけてあった保険の処理に相当な時間を要したのでした。
書類を用意しないと故人の財産をどうすることもできないわけです。
例えば、相続を放棄するとかの書類ですね。
郵送で送ってもらっても記入に不備があればまた送り返して、悪気があるわけでもなんでもなく、それぞれが忙しいとその書類を送ってくれるまでに時間がかかって物事がなかなか進まない。
そういうこともあるのです。
実家は父がお金の管理をしていたはず。
先に死んだらどうするつもりなんだ、と思ったら物の「片付け」なんかどうでもいい感じになって、思わずこんな本を購入してしまいました…。
今からでも遅くない?! 親の老後へ向けての積立
親からの財産をプラスで受け継げるかどうかは、その家次第です。
借金があれば相続放棄をするしかないし、誰も住まない家を持ち続けるにはお金がかかるのです。
住まない家に固定資産税を払い続けるとか、遠方だと管理を頼むなど自分たちの生活以外にかかるものが増えてしまう。
実家に関して言えば、子どもたちが誰も戻ってこない以上、その家を維持するには兄弟がお金を出し合うか、処分するかの2択。
誰か一人が負担をするということは避けなければいけません。
それに、親が葬儀のお金などを残していても手元にすぐ現金がなければお寺に払うお金も子どもである自分が考えなくてはいけないかもしれないですよね。
あとから故人の残してくれたものがあれば返ってくるとは言え、その時に自分もお金に困っていたら?
なんとかなるのかもしれませんが、急に心配になってきたので親関係のことで使うお金を積立てしようかなと考えています。
葬祭互助会などのようなのには夫名義で入っているのですが、現金としてすぐ使えるように、少額でもいいので積立ておくと安心できそうなので。
遅いのかもしれないけれど。
こういうことが目の前にせまってきたら、つくづく感じます。
自分も子どもがいるのにおかしな話ですけど、いつまでも子どもでいられないんだなあって思い知らされます。
親がなんでも解決してくれていたのは遠い昔。
これからは、自分の家族と年老いた親の両方のことを考えて行かなければならないんだなあ。
どおりで肩がこるわけだ!
最後までおつきあいいただき、ありがとうございます。
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